どーもどーも、しょーたろー(@syotaro_blog)です。
突然ですが僕は中学生の時に人が怖くなって、人にどう思われているのか怖くなった時期がありました。
ですがその時期に、僕の対人恐怖症に拍車をかけたものがありました。
それは、家庭環境でした。
人が怖くなった時の、僕の気持ち。
僕は中学生の時に「デブ」「天パ」「不細工」といじられるようになって、みんなの笑顔が信じられなくなり、人が怖くなりました。
それ自体は今はいい経験だったと思えるのですが、その当時の僕は「自分がどう思われているのか?」ばかりを気にしてしまい、毎日毎日気が滅入るほどでした。
・キモいと思われてないか。
・デブだと思われていないか。
・不細工だと思われていないか。
みんなにいじられるようになって、自分に劣等感を感じているからこそ、そんなことをずっと気にしてしまっていました。
ですがそんな僕の劣等感に、拍車をかける存在がいました。
それが、兄妹です。
僕は6人兄妹の長男として生まれ、姉が1人、妹が1人、弟が3人います。
みんなちゃんと血を分けあった兄妹なのですが、いかんせん僕だけ不細工で、運動もできなければ、特に勉強もできない、さらに友達も少ないという劣等感マンでしたw
兄弟の中で僕以外は小学5、6年生の頃から彼氏や彼女がいましたw
さらに弟はみんなサッカーを習っていたのですが、僕だけがレギュラーになれないどころか、試合に出ることもほぼないくらい下手くそでしたw
弟たちはみんなバリバリのレギュラーですw
だったら勉強ができるのか?というとそうでもないし、友達の数すらも僕が1番少なかったと思います。
そんな環境だった為、たくさん学校でいじられて家に帰ってその兄妹たちを見ると、毎日毎日劣等感を感じずには入られませんでした。
・俺もこのくらい見た目が良かったら
・サッカーができたら
・せめて勉強ができたら
もしそうなら、こんな人生にはならなかったのかな?と本気で悩むほどでした。。。
さらにそこからどんどん悪い方向に考えが進んでいくと、、、
こんな自分は何で生きているんだろう、、、
学校でも家庭でも劣等感を感じまくっていた僕は、自分自身に問いただしてみた。
僕の生きている意味は何だ?
俺はみんなより不細工だし、運動もできないし、特に秀でているものがない。
このまま一生彼女もできないし、どーせ友達も上辺だけだし、運動だって人並み以下。
こんな人間が生きていたって、何の意味もないし、むしろみんなに迷惑をかけるだけだ、、、
何で生まれてきたんだろう、、、
中学生の時はマイナスのことしか考えられなくて、こんなことをよく考えて生きてきた。
でも23歳の今の僕はこんなことでは当然悩んではいない。
歳をとるにつれて、少しずつあらゆる物事への理解度は増してきたからだ。
異なるは悪ではない。個性で正義だ。
中学生という少ない年数しか生きていない人間にとって、中学校という場所はとても大きな世界だ。
そしてまだまだ精神的に未熟な生き物で、先生や親という存在はとてつもなくでかい存在だ。
そんなでかい存在に「これが正解だからこーしましょう!」と言われ続けたら、もちろんそれが正解で正義になってしまう。
逆にいればそれ以外は全て悪になるのだ。
今の日本ではそういう教育がされている。
でもここで大事なのは本当に間違っていようが、間違ってないかは関係なくて、彼らにとってはみんなと同じが正義で、異なるは悪だということだ。
冷静に考えてそんなわけはなくて、たとえ先生に教わっていない解き方だろうと、答えが合っていればその解き方は間違っていない。
答えややり方が1つであると決め付けている方が、愚かで間違っていると僕は思う。
まず異なるが悪であれば、それは個性=悪になってしまう。
だがここ日本では異なるは悪だが、個性は尊重しようなどと意味のわからないことが平気で起こっている。
だから日本の教育制度を俺が変える!!!
なんてことを言う気はもちろんなくて、だから異なるは悪ではなくただの個性なんだよと、昔の僕に伝えてあげたい。
一人だけ顔がちょっと違うのも個性。
運動できないのだってただの個性。
友達が少ないのも個性。
個性がないなら、みんな同じロボットでいいしねw
だから他人と比較して落ち込むなんてことはやめて、これが俺の個性だ!と堂々と前を向いて歩いていこ!!!
異なるは個性だ!!!!
ではまた!